アサヒグラフ、昭和51年1月30日号
東銀本店の建築は、日本に本格的な西洋建築を根づかせようとした先人の苦闘の結晶でもある。設計者の長野 宇平治は、まるで衣装やアクセサリーをかえれば西洋建築になるというふうな和洋折衷主義を否定し、西洋文明の 源流であるギリシャ・ローマの古典主義にさかのぼって日本の建築文化を出発させようとした。この東銀本店の 建築は長野の古典主義建築研究の長い道程の到達点を示すものだ。(後略)
東銀側に、「今のこの建物みたいにあまり威圧的なのは銀行建築としてもはやらんと思いますよ」という考えがあるなら、若手建築学者には、「へんにものわかりのいいおやじより、山高帽子にフロックコートのいかめしいひいじいさんに愛着があるんですよ僕たちは。 現代の威圧感というのは、無表情な現代建築が象徴している管理社会にこそある」という意見がある。 たとえ威圧感でもいい(中略)語りかける言葉を持った建築が姿を消していると、若い建築学者たちはいっていた。
「アサヒグラフ昭和51年1月30日号(15P~18P)、長塚進吉(文)・杉崎弘之(写真)、朝日新聞社」より抜粋
近代建築論講義、鈴木博之
1976年(昭和51年)に日本橋の東京銀行本店が取り壊された。この建物は長野宇平治の設計による古典主義的な作品であった。建っている場所は日本銀行本店の南側真向かいである。つまり、日本銀行本店と向かい合って建つ建物だった。(中略)さらにこの場所を眺めるなら、日本銀行本店の東側には三井本館、三井本館の南側には、三越本店が建っているのである。三井本館は、アメリカのトローブリッジ・リビングストン事務所が設計したアメリカン・ボザール風の古典主義系デザインのオフィスビルであり、三越本店は横河民輔の事務所が設計した、これまた古典主義デザインのデパートである。東京銀行本店の建つ場所は、日本銀行本店、三井本館、三越本店が接する古典主義的建築による希有な街角なのである。江戸時代には金座があり、また駿河町の通りには江戸初期から越後屋(後の三井と三越)が店を構える江戸屈指の商業中心地であった。だからこそ、その都市的なポテンシャルは江戸が東京になっても、変らなかったのである。(後略)
東京銀行本店の保存を訴える動きは、東大生産技術研究所の村松貞次郎教授(当時)を中心に、若い研究者や建築家たちがつくり出した。建築家の東孝光が建物の外周部全体を残して、内部を高くする案を描いて所有者に示したし、建物の周りで保存を訴えるビラを配ったりしたが、結局建物は全面的に再開発されてしまった。しかし、ここには、その後近代建築史の研究や保存運動を通じて一緒に活動する人々の多くが顔を揃えていた。保存は成功しなかったが、このとき、継承されるべき建物は、そのデザインの特質によって評価されるだけでなく、それが保存する立地、都市的コンテクストからも評価されるべきであることを実感した。
「近代建築論講義、鈴木博之+東京大学建築学科編、平成21年、東京大学出版会」より抜粋